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乳がん体験記録 vol.1 発覚と告知(暗闇の中でも「安堵感」という一点のポイントに立つ意識の使い方)

乳がん

書こう書こうと思っていて、
もう数年経ってしまった…

やっぱり書いたほうがいいよな!!と思い立って、
乳がん発覚から現在までの体験を記すことにする

好きな音楽を1曲延々リピートで
心地よい環境が準備できた

目次

始まり

こどもを寝かしつけていた時に、
ふと、左胸に小さなしこりがあるのを発見した_

隣にいた旦那に
「なんか胸にしこりあるかも?なんだろ」
と伝えた。

「検査行った方がいいよ!」と
心配そうに言うから、予約をとることに。

検査の日

そして、2020年12月
寒い冬の日、乳腺専門病院の検査に向かった。

ちなみに、この時の私はというと
こんな感じ

37歳専業主婦
きれいめコーデで巻き髪
今と全く違う私だった。

こどもは、2歳と6歳
こどもがいても
基本スタイルはワンピースにハイヒール



2020年10月に
初めてイメコンのトータル診断を受けて

なにこの仕事…!!!!
なんか、これ、

めっちゃくちゃ
心が反応するんですけど…!!!!

てなって、
そのまますぐに「私もこの仕事する!」と決めた。

そして、この検査日は
その2か月後というわけだ。



胸にしこりがあるから来たことを伝えると
エコー検査とマンモグラフィー検査が始まった。

なんかもう、その時点で
「何枚撮るの!?」てぐらいの枚数を
色んな角度で撮られた。斜めとか真横とか…

とりあえず貧乳すぎてww
マンモで挟むのが至難の業

そこから診察だったんだけど、
特に心配することなく、普通に待ってた。

診察が始まったら、
マンモやエコーの画像を先生が
難しい顔で何度もチェックして

「画像でみると、しこりの形が
ちょっとギザギザしてますねー…
うーん…

今から追加でさらに検査が必要です。
細胞を少しとらせてください。
でも、心配しないでください。
がんでも死なないですから…ね!?」

と、声をかけてくれて、
なんか今思えばもう
「画像見ただけでアウトやで?」
てことだと思うw

なぜかその時は能天気で
「へーそうなんですねー」て
気にせずだった。



注射器みたいな細い筒のものを、
しこりのところにあてて
バチっ!!て一瞬痛みが走ったかと思ったら
もう細胞は取れたらしい。


マンモグラフィーも初めてだし
なんかもう今日は初体験がいっぱいじゃん!
色々割と痛い


細胞検査後、とりま記念撮影だ♪てやってた私




次回の予約が
今回の先生の診察の日程と合わなくて、
「他の先生でもいい?」と確認されて

「なんでも大丈夫」と伝えて診察室を出た。

診察室でてスマホを確認すると、
旦那から
「検査結果、どうだった?」と連絡がきていた。

「よくわからんけど大丈夫っぽい☆
追加で検査したから、来週また行く」と返した。


告知日

そして、結果をきく診察の日がきた。


診察が終わったら、
長男の小学校の先生と面談の予定がある。
さっと診察が終われば、余裕で間に合う時間。



乳腺外科の待合室前の
ベンチに座って待っていると、
診察室の扉がそっとあいて、前の人が出てきた。

看護師さんに肩を抱かれて
しくしく泣きながら出てきた女性の姿

「え、どしたんどしたん…。」
と心の中で驚いて、すぐに分かった。

ここは乳腺外科専門病院なわけで…

「あの方は、乳がんだったのかな…」と

離れていく彼女の後姿を見て
心の中で、
「それでも、絶対に大丈夫だから」と
エールを送っておいた。

待ち時間の間、
ぼぉーとしてたら
院内のポスターが目に入ってきた。
「11人に1人は乳がん」と書いていた

へー、これって多いってことなのか?
さっきの人もそうだったんだろうな。
とボーと考えていると、

看護師さんに「藤山さん、どうぞ」と呼ばれた。

診察室に入ると、
優しそうなおじちゃん先生が座っていた。

で、一言目が
「あれ。お一人…?」

なにこの空気…と思いながら
「はい、一人ですが…?」と答えた。

沈黙しているおじちゃん先生

「え?(*‘ω‘ *)なに…?」て思ってると

「あー…、こないだの先生と僕は違うから…
初めましてなわけですが…その…」

と、歯切れ悪くこちらを見る。

「ご家族と一緒に来てほしいということは
聞いてませんでしたか?」とおじいちゃん先生。

「いえ、違う先生でいい?て
聞かれてだけです。
え、でも、今日って
ただ検査結果聞くだけですよね。」
と、答えた。

「あぁ、そうですか…
通常伝えるはずなんですが……」

と目線を合わせずカルテを見ながら話す。

重い雰囲気…

さらに少し間があって、

「その、検査結果なんですがー…
前に覚悟しておくようにとか言われてますかね」
と、先生が切り出した。

「いえ…え?」

「あー…、細胞の検査の結果が、
悪性、でした…

早期(0期)の乳がんなので、
命は大丈夫なんですが…
左胸の手術は必要ですね……」と
めちゃくちゃ言いにくそうに小さな声で言った。

え?!

え。どういうこと
え?

乳がんなの?!わたし??

いや、気づくとこいっぱいあったよ?て今なら
思うんだけど、その時は普通に驚いた。

おじいちゃん先生もさっきの女性
泣きながら出てって
またすぐ告知って大変よね。

この時の感覚を鮮明に思い起こすと
一瞬確かにショックだった
「え……」て、真っ暗になった。

が、瞬時に意識が切り替わって
驚きの次にきた感情は

「おおおー…!
なるほど、そうきたかぁーー!!!」

だった。

「なにこの面白い展開…」て、
つい思ってしまった。

どういうことかというと

「わー、すごい。
わたしって、乳がんにまでなってしまった…!
もう本当に本当に自分の人生を
いきていかないと!


これって、そういうことだよね?!
と、状況を受け取ったからだ。
そうすると、少し口角が上がってくる。

先生はショック受けて泣いたり
放心状態にならないか構えていたようだけど、

「で、手術ってどうするんですか!」と
笑顔で聞く私に
驚きと安堵のような表情で、笑顔をみせてくれた。

初めて先生の笑顔見れた。

今のところ、方法は2つなのだ!!

  • しこり自体は小さくて早期だから、部分切除もいける。でも石灰化とかいう現象が広がってるから、その場合、放射線治療に通わないといけない(日数とか忘れちゃった、1~2か月だっけな)

  • もしくは左胸を全摘してしまう。その場合、放射線治療は必要ない

迷うことなく
「あ、全摘で!!」と伝えた。

「え、いやいや、
すぐじゃなくて
ちょっと考えてもらっていいですよ。
ご家族に相談してもらって」と言われて

「え?自分のことなんで。
もう決まりました。切ります!」
と笑顔で答えた。

「近所転院してそこで手術受ける!
紹介状手配してください。」
と、伝えた。

そこから説明とかがあって
その時はもう重い空気はなく
和やかな時間が流れていた。

「へー、がんってこんな仕組みなんだぁ」とか
思って資料見てた

「全摘した場合、再建手術もできるから
安心してくださいね」と先生が教えてくれた。

「へー。そんなんあるんだねー」
ぐらいの感じだった。
別にどっちでもいい…(結果、再建手術はしてない)

そして、診察室からでると
やっぱり旦那から
「検査結果どうだった?!」と
連絡がきていて
「がんだった

「まじかー」て返ってきた。

まじなのだ。

この現実で、私はどう生きるかが
がんという出来事から、問われているんだ!



私は、確かにずっと
本気で全力で生きたかったんだ

でも、なんとなく専業主婦で
なんとなくオシャレして
なんとなく不満があり
でもなんとなく幸せで

なんとなく未来を描き、
なんとなく生きていたから

どこかで
本気になるスイッチが入るのを
待っていたのかもしれない。

ついにおされたスイッチにより
会計待ちの時には
自分の人生の展開にワクワクさえしていた。

帰り道の決意

お会計が終わって、自転車にのって
カフェにでも向かって
コーヒーを飲みたいところだけど、

私には母としての任務が残っている。
このまま、
長男の個別懇談に向かわなければならない。

診察が思いのほか長引いたことで、
爆速で駆けつけても
少し遅れてしまうだろう状況だ。

なるべく急がないと、と思いながら
寒い風が吹き抜ける中、スピードを上げた。

学校まで向かう中、

「さぁ、ここからどうする!?
わたしはどう生きたい?」

何度も自分に問いながらペダルをこいだ。

本気を出す時がきた!
そんな気配が自分のお腹の底から
湧き上がってきて、
感じたことのない自分の力強さを感じた。


冬の冷たい向かい風に向かって
全力で自転車を走らせながら
「やってやる…!!」と思った。

私が欲しかったのは、この感覚だった。

私次第でなんだって
ここからクリエイトできるって思える強さ。

こんな状況で、自然とにやけてくる私は
変なのだろうか、と思いながらも

意識を内側に向けて、
ペダルをこぐたびに、感覚を研ぎ澄ませた。

「もう、ここから先は、
本当に本当に自分の人生を本気で生きる…!!」
と、私は私に誓い、
その誓いは100%の決意となって
流れる景色とともに
すごいスピードで固まっていった。

冬の乾いた空気を感じて、澄んだ空を見上げると
不思議と高揚感に包まれ、
これからの未来の希望を感じていた。




「こわい」「悲しい」という感情がなかったのは、
「いまの道」を進むことをもう
決意していたからだ。

乳がん発覚の2か月前に
メイクに特化したイメコンになることを
私は決めていた。

旦那にも
「スクールに通ったり東京への宿泊費含めて
おそらく250万ほどはかかる」と伝えていて、

もうこの翌週には
東京で顔タイプアドバイザー1級の講座が
せまっていた。

人生はもう今の方向へ動き出していた。


とはいえ、
10年間働いていない専業主婦の私は、
当時起業なんてほど遠いところにいて、

夢はあるものの
どこか、現実感がなかった。

「できるんだろうか…

無駄になってしまうかもしれないし…
そもそも私にそんな力はないかもしれない…」

と、自信も全くなかったし

「うまくいけば、やりたいなぁ…」
みたいな、結局まだふわっとした感じで
心の底から、決めてはいなかった。

そこが、今回の乳がんという出来事で、
一気に変わった。


もう、行くしかないでしょ…!!
人生、猛スピードで駆け抜けよう…!!

乳がんをきっかけにナヨった考えから

よし!!もう、やる!!!!
と、決めた。





ようやく長男の小学校についた。

真冬だけど、自転車を飛ばしてきて
校舎の中に入ると、少し暑い。

やっぱりもう開始時刻をすぎてる!
勢いよく小学校の階段を駆け上がって
クラスで待つ担任の先生に
「遅れました!
病院が長引いてしまって。」
と、勢いよくドアを開けて、謝った。

大丈夫ですよ、と笑顔を向けてくれる先生に

実は私、乳がんになったんですよ!
さっき、告知受けてその足で来ました!!
と伝えると


先生は、きょとんとしたあと、
「えええええーーー!!!お母さん!!
大丈夫なんですか!!」

と慌てて心配してくれたけど、

決意が固まった私は、
心からすっきりとした笑顔で
「はい。わたしは、大丈夫です!」
と答えた。

その夜

こどもを寝かしつけて
夜、夫婦で話す時間を持った。

気楽に病院にいったら、
突然の乳がん発覚で、
思い返せばなんだか今日は、
長い一日だった。


旦那とは状態の話しはそこそこにして
それよりも
これからの生き方の話し
の方を聞いてほしかった。


メイクの仕事につくこと、
イメコンになること、
それらに本気で取り組むきっかけになったこと、

ここからは、
向かう先だけを見て進むと
覚悟をしたこと。

静かにうなずいて聞いてくれたあと、
「応援するよ」と言ってくれた。

そして、気遣うように

「胸ってさ…、女性にとっては、
なんというか…
特別な個所なのかな、とも思う…

だから、手術するっていうのは、
きっと本人にしかわからない
複雑な気持ちがあるんだろうなと思う…」
と、伝えてくれた。

「うん。そうだよねぇ…」
そうなんだよ。

なんで、胸なんだよ。
ないなりに、
それは、やっぱりちょっとショックなんだよね。
悲しくないといったら、うそになる。



そりゃ、嫌だし、悲しいよね。

それらは自然とわいてくるけど
だけど私は、
どう感じたいかを自分で決めようと思った。

たった一点のポイントに意識を集中させて
リラックスを選択すること。

今回図を使って
わたしの頭の中を説明してみることにする

意識の使い方の話し

ポジティブ

心地よい時は自然にポジティブな状態。ネガティブは感じていないだけで、存在はする


ネガティブ

不安なときは自然にしていたらどんどんネガティブな状態になる。でも、やはりその時にもポジティブは無いんじゃなくて、存在はする。しかし、かなり範囲が狭く小さく、希望が見えにくくなっている。

どんな時にでも
「安堵感と絶対的な大丈夫な感覚」は

存在している

自分の意識の中に、
いつだって必ず、どんな状況であっても
安堵感(ポジティブ)な場所は
存在することを、私は知っている

不安や苦しみという現実を体験した時には、
そのことを思い出して、
意識の中で一点のごく狭い範囲の安堵感の場所を探す。



思考を放ったらかしにせず
なにを選択するか、自分が選ぶ立場に立つ


これは、
不安で暴走する自分の思考(エゴ)の主導権を
自分自身に戻す作業ともいえる。


安堵感から1ミリでもずれると、
奈落の底に落ちていく恐怖がある。

目の前が真っ暗で
未来の希望が見えない時こそ、
この意識の使い方を思い出してほしい。

今、あなたが辛くても
全く光がみえなくて
必ず、安堵感は存在してる。


私のコンサルでは、
お客様がネガティブに飲まれていても
一点の安堵感を見つけ出し
そこに誘導している

あなたの中に希望があることを
思い出してもらえるよう
意図してコンサルしている。

安堵感のポイントにさえ立っていれば
俯瞰で状況を捉えられるし、
物事をニュートラルに受け取れる。

安堵感を選択し続ける意図

この状態でいると
今回起こった出来事は、
乳がんになった、ただそれだけ。
という視点で物事を捉えられる。

左胸を切り落とす、ただ、それだけ。

何が起ころうと、その出来事自体に
「いい悪い」はない。

それに意味付けするのは私だ

そういう視点に立つと、
発する言葉も変わってくる。




「確かに、
できるなら切りたくない。痛みとか不安にもなる」

「でも、やっぱり、
だから何?とも思うんだよね。
私にはやりたいことがあるから。

片胸なくても、
私はメイクができる。

胸を切っても夢に支障はでないから、
やっぱりそれは、胸でよかったって思う」

と、夫に返した。



胸っていうのは、「女性性」という
代表的な部位ではあるかもしれない。
貧乳だからそもそも大した武器にもならず、全く意識してこなかったが…

「悲しい…」といくらでも、
状況にのめりこんでいけるかもしれない。

じゃあ、どう感じたい?
どう体験したい?
と、自分に問いかけた時、
やっぱりその先に意識を向けたいと思った。

乳がんになっても、
片胸なくなっても、
わたしの人生はそこから続いていく。

じゃあ、
その先をどう生きたいのか
向かう先を明確にしたら、
今回の乳がんはひとつの通過点だ。



私は、私に頼ろう。
自然とそう思えた。

今まで、外に拠り所を探していたのが、
今回、自分の拠り所は自分なんだ、と
感覚で腑に落ちた。

いつだって、私は
ほんとうは、

ワタシに見てほしかったし
ワタシに認めてほしかったし、
ワタシにそばにいてほしかった

でも、そんなワタシは
外ばかりを見ていて、
心の中は、いつも独りぼっちだった。

「もう、私を一人にさせない。
これからは、ワタシと一緒に生きていく」



「そんな自分が、わたしは好きだ。」

とそう思うと自然と身体がゆるみ、
幸せな気分で眠りについた。

私の人生を変えた日、
今のK.Wisteriaふじかえにつながる重要な一日が終わった。

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