顔タイプアドバイザー1級とメイク基礎
告知の翌週、
2020年12月
顔タイプアドバイザー1級の講座を
創始者の先生から受講するため、
東京銀座まで一泊二日で出かけた。
とってもワクワクする…!!
この時に、隣の席の女の子とお友達になった。
私がこの夢を追う中で出会えた
最初の友達、りなちゃんだ。
その2週間後には
また、顔タイプ協会のメイク基礎講座のため
東京に向かった。
顔タイプメイク基礎では、
イメコンのひろさんと出会えた。
この道を進む中で
専業主婦時代には出会えなかった人たちと
たくさん出会うことができた。
ひろさんもなかなか会えないけど
とても大事な友達だ。
顔タイプの勉強会をしたり
夢について語ったりした。
りなちゃんともひろさんとも、
当時、乳がんについては話していない。
というか、
友達ほとんどと、私はその話しをしてない。
隠していたわけではなく、
私には、話したいことが
明確にあったからだ。
それは、夢のこと
これから進む「今の仕事につながること」
この話しを友達としているとき、
私は、とてもワクワクしてくる。
それらに比べると
乳がんの話題は、つまらないものだった。
限られた友達との時間には
興味のあることを熱量100%で語りたい。
この手記を書くにあたって
今朝、夫に当時のことを聞いてみた
「カエは本当に
乳がんの告知を受けた日を境に
かなりスピード感を出して
人生を駆け抜けてる。
手術までの期間も止まることなく
どんどん行動を起こして、
むしろハイテンションにもみえた。
いつか疲れがでないかなと
心配していたけど、
術後もカエはそのまま走り続けて
一気に起業までもっていって
つぶれなかったよね」
と、いっていた。
そうだったなぁ、と思い出してくる。
数年前の忘れつつある記憶を引っ張り出して
書いていこうと思う。
先に言ってしまうと、
術後半年後にはもう起業して
今の仕事をスタートしていた。
そこから2024年の今まで
走って、走って、ずっと走り続けてる。
告知を受けた冬の日、
自転車をこぎながら決意した未来を
今私はリアルに生きてる
転院
今日は2021年1月
2020年が終わって
新しい年を迎えた。
コロナ真っただ中に
私は乳がんを体験していたんだったなぁ。
夫が仕事を休んで
今日は夫婦で紹介先の病院に向かう日
転院先でも
一通りの検査を済ませてから、
診察が始まった。
主治医の先生は、
サバサバした50代の女性
また、現状の説明と選択肢の説明を受ける。
前回と同様、
左胸全摘出の手術と心は決まっていたので
スムーズに進む。
「手術日いつにしますか。
いま、コロナの影響で
入院が今月すぐにはできないの。
早くて2月半ばになるね。
手術であっても、
面会禁止されてるから
1人で臨んでもらうことになる。」
大丈夫。
一人でも私は平気だ。
とんとん拍子で手術日程が決まる。
この時私が気にしていたことは
手術についてではなかった。
今日から手術までの残り時間についてだ。
手術まで、約一か月半ある。
その間にも、
私にはやるべきことがある。
メイク基礎講座を翌週に修了予定なので
また東京へ向かう。
そして、ここからは実践をこなすのみ!
手術後の自分が
どんな身体の状態なのか、
すぐに動けるのかもわからない。
だとしたら、
私にはのんびりしている時間はない。
動ける今のうちに、
メイクの実技練習をこなしたい…!!
告知後から私は常に、
「乳がんのその先へ」意識を向けていた。
目の前で現実は展開しているけれど、
意識の点ではもう、
乳がんはただの通過点だと捉えていた。
爆笑の診察室
初めての診察で、
決めることは手術日だけじゃない。
次々にどうするのか、
決めていく必要がある。
もう、進むだけだから、
変に迷ったり回答に時間をかける必要はない。
その場で即答していくのみ
「遺伝子検査をしますか。
保険適応しても8万円ほどかかります。
乳がんになりやすい遺伝子があるのか
血液検査で調べることが可能で、
もしその遺伝子があった場合、
もう片方も
今回切除した方がいいかもしれません。」
「やります!」
もう、遺伝子出たなら出たでいい。
一個切るのも、二個切るのも変わらない
※結果は遺伝子には異常なしでした
当時、女性らしくしてたけど中身は、男らしかったw
「では、再建手術はどうしますか。
もし再建手術をする場合、
手術中の処置が変わりますので
事前に決めておく必要があります。」
で、処置の内容の違いや説明を聞く。
そこでちらりと私の胸元を見て、
先生が一言…
「でもねぇ…
あなたのおっぱいの場合、
一番小さいSサイズのシリコンバッグでも
元の胸よりも
大きくなっちゃうかもしれないわねぇ…」
ちょ、
爆笑するんですけど!!!!
「めっちゃウケる!!!」
て、わたしが大笑いしたら
旦那も笑い出して、
先生も看護師さんも笑い出して
無機質な診察室で笑いの渦が起きた。
「いい、いい!
再建手術は、やりませんw」
と、笑いながら言うと、
「胸の横から切って、バストトップは残します。
横から中のあんこを抜き取るだけだから、
あなたの場合、パンだけになっても
あまり左右差が気にならないかもしれないわね」
と、胸をアンパンに例え始めて
また笑えた。
もう、なんでも笑いにできる。
何が起こってるかは関係ないって最強だ。
そして、診察が終わったら、
今度は手術に向けての検査に向かう
造影剤を血液にいれてCT中、
息がしづらくて動機が激しすぎて
死ぬかと思った。
自分が造影剤アレルギーがあると、
今まで知らなかった。
でも、そういうのも含めて
私は「全部受け入れていく」て決めていたから、
ハプニングがあっても、心は穏やかだった。
いいも悪いも
ぜーんぶ、私の人生だ。
全部ひきうける!
この意識になれたことが
とても嬉しかった。
こうなりたかった。
でも、なかなかなれなかった。
現実の状況がよければ喜び
悲しければ悲しみ、
私の感情は現実次第
良い時は良いけど
悪くなったらどうするの?
自分の人生なのに、
状況に起因し、他人次第であり、
自分ではコントロールできないものだった。
それが、今回
乳がんになって、
私は、現実の状況と自分の感じ方を
切り離し、
自分で意味付けし直すことができた。
それこそが、
自分の人生を
自分でコントロールするということだ
そうすると、
現実に何が起きても、
状況は関係なく、自分次第であり、
とても穏やかになれる。
私は、「自分のことが好きだ」て
思うことが増えた。
なんとなく過ごしていた日々が終わりを告げ、
毎日本気で生きている実感が持てる。
そのたびに、
「私やるじゃん…!」
て自分を褒められたし、
この決意をした自分と
自分のおっぱいを、誇りに思おう…!!
と、自然と思えた。
ちっちゃくて愛おしい左胸と
最後の1か月半を大切に生きることにした。
さぁ、本領発揮
手術日が決まってから、
私のカレンダーはどんどん予定がうまっていった。
友達に片っ端から
「メイクさせてくれない?」とお願いしていった。
基本人見知りが激しくて
次男の幼稚園の保護者たちともあまり話さない
でも、そのママ友の集まりにも
ズカズカ入っていって
「イメコン目指すことにしたので、
メイクさせてくれませんか」
と、お願いした。
え、初めて言葉かわすよね…?
て、人にまでお願いした。
ちょっと空気凍ったよね…
もう、別に誰に何を思われてもいい。
とにかく、一人でも多く
動けるうちに
メイクしていきたいから
今できることを精一杯やるだけだ。
知り合いや友達と予定を合わせる中で
「2月後半ならいけるよ」
「2月半ばは?」
と言われて
そのころはだめだ…
そのころもう私は、
胸に包帯を巻いて、病院のベッドの上にいる…
なんとか予定を組み立てつつ、
入院前日のギリギリまで
メイクをしに出掛ける忙しい日々を過ごした。
夫は
「手術前は、おとなしくした方がいいんでは?」
と、心配していたけど、
「でももう、時間がない。
今できることをやりたいの!」
と伝えると、応援してくれた。
結果、手術日までの間に、
何人もの女性に
日々、メイクして、メイクして、メイクして、
メイクに没頭する日々をすごせた。
この時、メイクさせてくれた方々、
今はもう繋がっていない方も多いけど、
あなたたちのおかげで、今の私がいます。
心からありがとう。
そして、あっという間に
一か月半がすぎ、
ついに入院の当日をむかえます。
この記事を書いた人
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